新井寛規
大阪府大東市南津の辺町12-19

略歴
羽衣国際大学人間生活学部講師。子育て福祉推進協会代表。NPO法人キッズレクリエーションクラブ顧問理事や、社会福祉法人種の会顧問を歴任。1987年大阪府生まれ、奈良県育ち。
子どもの仕事一筋で、15年間で延べ2,500家庭以上の相談に携わり、日本の家庭が抱える「闇」に光を当てる活動に従事。その傍ら、不登校の子どもたちを支援するフリースクール「ろぐはうす」を設立し、学習支援や心のケアを行っている。自身が理事長を務める子育て福祉推進協会を通じて、学校や教育機関では手の届かない、複雑な問題を持つ子どもや家庭への支援を続けている。
専門は教育学と社会福祉学で、著書に『境界に生きる―。それでもキレイごとを信じられるか』、『モラハラ解放宣言』がある。また、論文に「フリースクールの属性と官民連携の関係性についての考察―A
市不登校支援連絡会に着目して―」や、「不登校の子をもつ親ときょうだいの関係構造」がある。
教育者、研究者、そして実践家として、現場で得た知見を学術的に体系化し、それを社会に還元する独自の活動スタイルを確立している。
現在の仕事についた経緯
高校生の頃、ふと立ち寄った幼稚園で、子どもたちを「宇宙人」だと感じたんです。言葉の通じない彼らとどう関わるか、その解明に知的好奇心を掻き立てられました。
それから小学校教員、養護施設職員、市家庭相談員などを経験し、12年間で2,000件以上のご家庭の相談に携わってきました。不登校や発達障害など、複雑な家庭問題を抱える子どもやご家族を支援する中で、民間だからこそできる柔軟な支援の必要性を感じ、羽衣国際大学で教鞭を執りながら、その実践と研究を続けています。
仕事へのこだわり
私の仕事の根底にあるのは、子どもや家族に対する「知的な探究心」と「実践と理論の融合」という二つのスタイルです。
実は、新人時代というか、この世界に入る前は「子どもが苦手」だったんです。でも、高校生の時に偶然訪れた幼稚園で、子どもたちを「宇宙人」のように感じたことが転機でした。言葉で伝えられない彼らの気持ちや行動の謎を解き明かしたい、という知的好奇心が私の原点です。
私は、単一の専門分野に留まるのではなく、教育、福祉、心理学など複数の領域を横断して問題を分析する「クロスドメイン型専門家」としての視点を意識的に築いてきました。これは、複雑に絡み合う現代の家族問題に対して、一つの側面からだけでは解決できないという現場の経験から生まれたこだわりです。
また、私は現場での実践知を単なる個別の事例で終わらせず、学術的な枠組みで体系化することにも力を入れています。大学で教鞭を執り、研究活動を行うのはそのためです。
例えば、私の博士論文のテーマは、民間と公的機関の連携についてですが、これは自ら運営するフリースクール「ろぐはうす」での実践から生まれた課題意識が根底にあります。
単なる経験主義者ではなく、現場で得た知見を理論に昇華させ、その理論を再び現場に還元する。この循環を大切にすることで、常に変化する社会のニーズに対応し、より質の高い支援を提供できると信じています。私の「弱者救済」という理念は、この実践と探究のサイクルの中で、より深く、強固なものになっていったのです。
若者へのメッセージ
若者の皆さん、こんにちは。子育て福祉推進協会代表/羽衣国際大学教員の新井です。
私はこれまで、たくさんの子どもや若者、そのご家族と向き合ってきました。不登校や家庭の課題、発達の特性に悩む彼らと接する中で、いつも感じるのは「自分はダメだ」という自己否定の感情です。でも、声を大にして伝えたいのは、「君はダメじゃない」ということです。
社会には、「こうあるべき」という固定観念があふれています。学校は毎日行くべき、友だちはたくさん作るべき、将来の夢は明確に持っているべき…そんなプレッシャーに息苦しさを感じている人もいるでしょう。でも、それはあくまで社会が作り出した「理想」であって、君自身ではありません。
時には、自分の居場所がないと感じることもあるかもしれません。でも、無理にその場所に合わせる必要はありません。学校という枠組み、家族という枠組み、そこから少しはみ出してしまったとしても、それは決して失敗ではありません。
私も元々は子どもが苦手で、子どもを「宇宙人」だと感じていました。しかし、その「分からない」という気持ちが、私をこの道へと導いてくれたのです。
「分からない」こと、「苦手」なこと、「普通」じゃないと感じること。それらを無理に克服しようとするのではなく、まずは「それでいいんだ」と自分を認めてあげてください。その正直な気持ちの先にこそ、君だけの道が開けていくはずです。
自分のペースで、一歩ずつ、納得できる道を探していってください。応援しています。